論理国語が2022年度より高校の国語の選択科目に登場します。
論理的思考力の強化という流れでいうと、プログラミング教育が公立の小学校では来年度から必修化されます。
中学校では2021年度から必修になります。
では論理とは何でしょう?
論理とは?
ものを考える道筋のことです。
何かを作るとき、どうやって作るか、まず方法を考えますよね。
その方法、手順を考えるときにこの論理が必要なんです。
方法が間違っていては作ることはできません。
また、方法が合っていても、手順が間違っているとうまくいきません。
どちらともが正しいうえで初めて成功するのです。
この力はものづくりだけではなく、あらゆることに必要です。
たとえば問題を解決しようとするとき。
点がまばらに存在していて、それをまとめなければいけない。
評論家の内田樹はこう言っています。
名探偵の推理こそ「論理的にものを考える」プロセスの模範だと思いますけれど、ここには「正解」を知っていて「作問」している人はいません。登場人物が現場に残された断片から推理して、その帰結として正解を「発見」するんです。名探偵の行う推理というのは、ひとつひとつの間に関連性が見出しがたい断片的事実を並べて、それらの断片のすべてを説明できる一つの仮説を構築することです。その仮説がどれほど非常識であっても、信じがたい話であっても、「すべてを説明できる仮説はこれしかない」と確信すると名探偵は「これが真実だ」と断言する。それは「論理」というよりむしろ「論理の飛躍」なんです。
内田樹 「論理は跳躍する」 内田樹の研究室 2019年5月18日更新 (最終閲覧日:2019年12月27日) http://blog.tatsuru.com/2019/05/18_0922.html
推理をするうえで断片的事実を点とするなら、仮説を立てるときにその点同士に関連性を見出し、つなぎ合わせる。
この点を線にする力こそ、論理なんです。それが跳躍すると真実になる。事件解決。問題解決。ハイ、スッキリ。
内田樹はまた、『跳躍する勇気こそが必要だ』と言っています。
最終的には勇気も大事かもしれませんが、そもそも跳躍する前の力、論理力を鍛えないと解決の糸口すら見えてきません。
まずは点を線にできるよう、思考のトレーニングをしようじゃないですか。そして線にできるはずだ、きっと解決できると信じ抜く根気と情熱も持ち合わせたいところですね。
論理のススメ、文学のススメ2
さて、話は高校に戻して、論理国語ですが、同じく選択科目になるのが「文学国語」です。
以前、この論理か文学か、というテーマで記事を書きました。
言ってみれば、評論文〈説明文〉か小説〈詩も含む〉か、というところです。
もちろん、社会で意思表明する際に必要とされるのは、評論文を読んだり書いたりする力=論理力のほうで、それがあると論文やレポートを書くときにはとても役に立ちます。
では、小説は必要でないのかというと、決してそうは思いません。
心情の読み取りや行動を理解する力は、人間関係を構築する上でとても重要だからです。
また、文学は論理的なものでもあり、感性で書くものでもあります。
そのため数学が苦手だけども、現代文の小説や詩の理解はとてもよくできる、といった現象が起こります。
反対に、数学が得意でも、小説や詩などがほとんど読めない、ということもあります。
これは論理(理性)と感性が別々な表れでしょう。
人間関係の問題を解決するときには、この感性がより重要になってくると思います。
感性はArt(芸術)で磨こう
論理力は思考の練習で鍛えられるので、当塾でもサポートできると思いますが、
感性はウチでは紹介する程度で精一杯ですね。
例えば、絵を描く、本を読む、映画を見る、音楽を聞く、粘土をする、花や飲食物のの香りを嗅ぐ、いろんなものを食べる、など。
「○○よかったよ~」「○○楽しいよ~」と、話をするくらいです。
もちろん、読解問題を解説するときに心情を説明することもします。
ただ、実際に五感を使っていろんなことを感じることで、感性や想像力はずっと豊かになります。
この感性は生き物ならではの本能的なものもあれば、心の栄養だったり文化だったりもします。
感性を磨くと人間として奥深くなり、良い人間関係が築けます。
つまり心と心をつなぐきっかけになるんですね。
このこともまた、人間社会で生きていく中では大切なことです。
先日、STEAM教育の重要性についてnoriが記事にしていました。
AIやロボットが居場所を増やしていく中で、人間は創造的であることが重要になる、という話もしました。
論理的思考力はもちろん重要ですが、やはり人間としての感性も磨きつつ、想像から創造へつなげる力も大切だと思います。
それこそ、論理を跳躍させる力になるのではないでしょうか。