私は小さい頃から言葉についてよく考えさせられました。
家族内でのケンカが場面としては挙げられます。
私は3姉妹の末っ子です。姉妹ゲンカもあったとは思いますが、あまり覚えていません。
覚えているのは親子ゲンカと夫婦ゲンカです。
姉と母、姉と父、母と父のケンカを耳にして、
「ん?それは言い過ぎなんじゃないの?」とか「なんか話がそれてきたなぁ」とか「的を射ていない言い方だ」とか。
別に聞いているわけではないんですが、なんせケンカなので声が大きい。聞きたくなくても聞こえてしまうんです。そこでついいろいろと思ってしまうんですね。
で、第三者が仲裁に入ってまとめるとか、勝敗がつかないまま終わってしまうとか、結末は様々でしたが、
まとめようとするとき、説得させようとしているときの言い方、話し方が耳について頭の中をぐるぐると回るんです。
「あの状況ではこう言うのがよかったんじゃないか」「あれは言ってはいけなかったでしょう」
だからといって末っ子の私が仲裁に入れるわけもなく。
大きくなってからはケンカに巻き込まれないように、いつも音楽をヘッドフォンで聴いていましたね。
ロックなんかを聴くと最高です。外の世界が遮断されたようで、何かに没頭できますから。
勉強でも工作でも。勉強していて怒られることはないですからなおさらいいですね。
思い返すと、ある意味逃げていたような気もしますが、そうするしかなかったようにも思います。
まぁそういうわけで、言葉について思考する機会は、家庭内でよく与えられました。
当時はうんざりしていましたが、今となっては感謝するところですかね。
もちろん、家庭内だけではなく、友達付き合いからでも考えることは人並みにあったと思います。
子どもの世界でも大人の世界でも、人間関係で悩むことはありますから。
それで悩んで答えをどこに求めたか、というと、本を読んだり自分で考えたりすることがほとんどで、結局答えが出ず仕舞いになることが多かったと思います。
友だちに話をすることも時にはあったかもしれません。でも話せるようになったのは、付き合いが深くなってからですね。
ダントツ自問自答ばかりです。
今はインターネットがあるので、似た悩みを持つ人の相談サイトやアドバイスなどが検索できます。
その点、今の子どもたちは恵まれてるような気がします。
ただ、情報が無限にあるので、そこから取捨選択をしなければいけないという試練もあります。
答えを選ぶのは自分自身なので、最終的には自分がどうしたいのか、どうあってほしいのか、という意思に左右される。
それは今も昔も変わりません。答えを出さなくてもいい、一生出ない、という場合が多々あるというのも変わりません。
ずっと悩めばいいんです。考え続ければいいんです。
そのうち別の悩みや気持ちで心も頭もいっぱいになります。
人間は忘れる生き物です。救いですよね。
その言葉について、最近目にした格言があったので紹介したいと思います。
国家の再建は教育から、教育の再建は人から、そして人の再建は言葉から (宮川俊彦)
名言・格言に学ぶ人間学「教育者の名言」致知出版社 人間学を探究して四十一年 (最終閲覧日:2020年1月4日)https://www.chichi.co.jp/info/resourceful/maxim/2019/meigen-education/#
感慨深いものがあります。ここまで断言できるのもすごい、と思ったのですが、どんな方か調べてみました。
思考力を養うには精読が最適
宮川さんは6年前に60歳で亡くなった作文のスペシャリストです。
1か月に30冊読ませるという教育はやめて、1冊を30回読ませるような指導してほしい。
本さえ読んだら読解力・国語力がつくという考えは幻想であり、あり得ない。そこで、1冊の本を精読・熟読・深読することを習わせなければならない。娯楽本と考えるために読む本とを区分けしなければいけない。娯楽本は娯楽であって否定する必要はないが、娯楽本について思考して感想文を書くことには無理がある。考えるべき本を生徒たちが自分で見つけられるように指導していくべき。まず、教師が古今の名著を読むべき。それができなければ教師失格である。
EDUPEDIA運営部『「この夏休み、きみの作文が大変身!」宮川俊彦先生 』先生のための教育事典EDUPEDIA 2014年4月18日更新 (最終閲覧日:2020年1月4日)https://edupedia.jp/article/53233f88059b682d585b5cd0
まさに、目からウロコが落ちたようで、衝撃的でした。
このご時世、学校の現場ではひと月に〇冊読む、年間〇冊読破!といった目標が掲げられていて、多く読んだ子には賞状が与えられる学校もあるようですが、そこにバッサリ!と切り込むような意見で、とても興味深いものです。
確かに、絵本やライトノベルのような簡単に読めてしまうものでは、本当の意味での思考ができないかもしれません。
自分を悩ませるような作品、古典だったり哲学書だったり、難しいとされる本こそが読むべき本なのかもしれません。
そして読んで考え、悩んでは調べ、本への洞察・解析が進み、思考も深めていく。
そうした精読が本当に必要なのかもしれない、と思ったと同時に、私自身、もっと本を読まなければ、と叱咤されたような気がしました。
問題集をきっかけに 一生の財産を
灘中灘高の伝説の教師だった橋本武さんは、中勘助の『銀の匙』という本を3年かけて国語の時間に読んでいたそうです。
スローリーディングというもので、じっくりと解説しながら読み解いていく、精読・熟読の方法です。
橋本さんは、「心に残る授業をしたい」ということで始められたそうですが、私も一国語教師として同感するところはあります。
「すぐ役立つことは、すぐ役立たなくなります。自分で興味をもって調べて見つけたことは一生の財産になります」
山王かおり「明治の人ご紹介 第31回 橋本武さん」夢ふぉと 2012.9.3取材 (最終閲覧日:2020年1月4日)https://www.yumephoto.com/ym/voice/voice31.html
101歳で亡くなる1年前の取材の様子ですが、教えていただくことが山ほどあるような方だと思います。
精読は当塾でもやってみたい、と思っていることですが、時間との兼ね合いで方法を模索中です。
ただ、読解問題を解くだけでなく、その背景や行間、使われている言葉について考える、ということは文章の一部でもできるので、できることからやってみなければ、と改めて思いました。
その問題集を読んでいく中で、ひとつでも心に残り、自ら調べていけるような、それこそ財産になるような本に、子どもたちが出会えることを願っています。
私自身、印象的な本は何冊かあって、授業中に紹介することもあります。
でもその本を読むきっかけが、悩みや家庭内のケンカからだったかもしれない、というのは、面白いというか、不思議な感じがします。
青年よ、悩みを抱け!ということでしょうか(笑)